トラベリング ブックス

      トラベリング ブックス

もうずいぶん前になるが、旅の途中、不在の友人の本棚から黙って本を借りてきたことはよくあったが、本当に本が旅をすることがあるんだ。

去年の秋、私はいくつかの負の理由が重なり、深く打ちのめされていた。その頃、私の元に若い女性から「読み終えたからみなさんで読んで見てください」と言われて数冊の本が届いた。その中に中沢新一著 古代から来た未来人「折口信夫」があった。私は中沢や折口信夫についていつも気にかけていたが、迂闊にもこの本の存在は知らなかった。中沢新一は「柳田国男、折口信夫、南方熊楠の三人の巨人の頭脳と心が生みだしたものは、日本人に残された最も貴重な宝物である。わたしがこの宝物をしっかりと護り未来に伝える水中の龍でありたいと願う。」と語る。折口信夫の思考と文章を奇跡的な学問とまで中沢は言い切るのである。そして彼の語るこの奇跡的な学問が遥か遠い旅をするんだ。

十一月には、手の中にも入るこのちいさな本は私のバッグの中にながくあった。高瀬町にあるイタリアレストラン「デルソーレ」の忘年会の席ではこの本の良さについて参加者にレクチャーをするつもりが果たせず、赤ワインにまみれてしまっていた。また、その年の暮れには深夜、三国東尋坊の岸壁を覗き込んでいたこともある。凍える海は月の光を受け、黒曜石を敷き詰めたように怪しく光っていた。折口の言う「貴種流離譚」と思わず口にしてしまった。

また今年の三月には首都から来た陽気な絵かきがこの本を見て、長く探していた本でもあり、帰りの新幹線の中ですぐにでも読みたいからと言って持ち去った。そして後日お礼だとして「夜の木」という高価な版画集と一緒に送り返してきた。その「夜の木」を自慢げに私が見ていたとき、ラピュタの才女がきて、中沢のこの本を貸してと言って強引に持って行ってしまった。

その後、この本の存在をとっくに忘れた頃、たまたま蓬莱町のラピュタ事務所を訪れた元の本の所有者である○○さんが末尾に墨でイニシャルの書きこまれた自らの本に出会うのである。なんとその時ラピュタの某所長がこの本を深く読み込んでいて、本の持ち主に向かって、この本がどれだけ優れているかという意味のことを彼女に自慢げに語ったというのである。

本が勝手に旅をしているのである。去年この友の会の冊子に森浩一が編集した「鉄」という本に白崎町の泥田の中で出会ったと私が書いたことがあるが、優れた本は、その本の力で遠くまで旅をするんだ。角はもうすっかり擦り切れてしまったが、装丁の美しい一冊の本が真夜中、確かに私のテーブルの上にそっと置かれている。
中沢新一著 古代から来た未来人「折口信夫」である。

ブックカフェゴドー  栗波和夫

広瀬隆著「原子炉時限爆弾」 「福島原発メルトダウン」

-SP-武生の図書館友の会の会報に書いた新刊紹介(掲載されるかどうかわからないのでこのコーナーにも紹介します)

-SP-もう何十年も前、少年の頃、高校の音楽クラブの夏の合宿で敦賀湾の名子という小さな村のお寺に滞在していたことがある。当時、個人的には色々な問題を抱えていて苦しかったのだけれど、訪れた敦賀の海は光に満ち、遠くの水辺ではしゃぐ少女たちがまぶしかった記憶がある。

-SP-秋には三年六組世界史の山本淑夫先生の提案もあり遠足で立石岬の白く長い砂浜、「水晶ヶ浜」へバスに乗って出かけた。蛇行する海岸線の道は途中崖崩れで 通行止めがあったりはしたが、人家から遠く離れた秋の海は限りなく美しくクラスの誰もが言葉を失った。またその岬の向こうには白い建築物が希望のように建 てられていた。目を瞑ると今でもその懐かしい遠足の海の風景を思い出してしまう。

-SP-春には高校を卒業し政治闘争渦中の大学や見知らぬ大人の中へ離散してゆく子供たちに忘れることのできない思い出を共有した秋のバス旅行は、クラスのひとりひとりにその後どのような心の安らぎをもたらしたであろうか。

-SP-本論の新刊本紹介に戻るが、この私の少年時代の切ない思い出の地には当時、敦賀と美浜に最初の原子力発電所が建築されつつあった。これを新しい時代の経 済成長への希望と思い込んでしまった私たちが、なりふり構わず働いた半世紀後の有様が、子供たちを外で遊ばせることもできない世界であったとはなんという 誤算と無知であるか。スリーマイル島のメルトダウンを経験し、チエルノブイリの爆発と世界的な放射能汚染を経ても、その最後の警告を生かすことなく、まる で他人事のようにふるまう日本人とは日本の為政者とはいったい何であるのか。この悪意ある時代を許してしまった日本の大人達が子供たちを放射能汚染から守 ろうというのもおかしな話だが、子供たちの遺伝子がみるみる劣化してゆくのを見過ごすわけにはいかない。

-SP-「フクシマ」は災害ではなく人災である。つまり人間の知恵で阻止することができた事象である。破壊された原子炉の冷却もいまだままならず外部に大量の放 射能が漏れ続けている。次の大地震が来ないことを祈りながら、原発なき次の時代を再建するためにもぜひこの広瀬隆の二冊の本の購読をお勧めする。

阿佐田哲也「ギャンブル人生論」

asada

この本は、荻原魚雷著「活字と自活」という本で知った。
その人の印象は、初めて会った20秒で決まるという。そうかと思うと、人は見かけによらないともいう。
話してみないと分からないし、付き合って寝てみないと分からないという人もいる。
いろいろあるが、僕が言いたいのは読めば分かる、だ。

-SP-三十年生きてきた。そのことだけが私の武器である。それをもう一度私は自分にいいきかせたかった。
-SP-三十年生きてきて、小説らしいものが一本書けたのなら、もう三十年、又生きて、それでもう一本書いてやろう。教養のある玄人作家に対抗する作品を書くには、彼等にできない長い時間をかけるより手がない。
-SP-もし、小説を書く気ならば、三十年とはいわないまでも、じれったくなるような長い時間を、沈黙して生きるよりほかにない。もともと私のような下賤の者が、他人に真剣に読んで貰うようなものを書こうとすることが、神をも怖れぬ所業なのである。
-SP-私自身は知恵も教養もないが、人間が長い時間をかけてつちかってきたそうしたものの値打ちは、いくらか知っているつもりである。この大敵と対抗するためには、こちらも常人にできないことをやって化け物のようにならなければならぬ。

~麻雀小説誕生の頃~

アマゾンで中古1円で売っている。

高野文子「黄色い本/ジャック・チボーという名の友人」

takano

-SP-自分は高校3年生の頃、どんな風だったのだろうか。
-SP-つい昨日のことのようでもあり、遠い過去のことのようでもある高校3年生の頃。
-SP-地方(おそらく高野の出身地である新潟)の高校3年生の主人公・田家実地子は、フランス小説の大作「チボー家の人々」を夢中で読み続けている。物語は、 その彼女の家や学校での日常生活を縦糸に、小説の進行を横糸に、特にジャック・チボーという小説の登場人物を第二の主人公(注:詳しくは読んでください) として描いている。
-SP-実地子は、地元企業に就職することになっている。その前の、ほんのわずかの時間の物語なのだが、読んで感じたことは驚くほど濃い。
-SP-つい昨日のことのようでもあり、遠い過去のことのようでもある高校3年生の頃。
-SP-本を通して「理想」や「仲間」に共鳴したり、物語に心躍らせた経験をしたことがある人なら誰でも共感できるこの「黄色い本」。内容が濃くて、とても一言では語れません。
-SP-僕には、卒業を前にしたちょっと憂鬱な気分もよみがえって来た。ジャック・チボーのように手を振っているのは、あの頃の僕なのかも知れない。
-SP-高野は他に「棒がいっぽん」など単行本、文庫本すべてあります。読んで損はありません。というか、高野を知らずにいるのはとってももったいないです。ぜひ読んでみてください。

しりあがり寿「ファンタジー、おじさんをつつむ。」

shiriagari

-SP-この奇妙な名前の漫画家の存在は、10年近く前、NTTデータが主催して文学や音楽、社会時評など各界の前線にいる人たちが日替わりで日記をアップして いた「先見日記(2002-2008)」で金曜日に漫画ありの記事を書いていたのを読んで知った。下手な漫画だと思っていたが、話題のトピックを面白く、 かつ深くひねってあっけらかんと放り出すような文章は、徐々に気になっていった。宮藤官九郎監督「真夜中の弥次さん喜多さん(2005年)」の原作がしり あがりの作であるといえば、分かる人もいるのだろうか。
-SP-“おじさん”はウザイ。とっても、ウザイ。でも、笑えて、悲しくさびしい。
-SP-…ありきたりで申し訳ない。ともかく読んでみてください。
-SP-最後の「窓際のホモ・サピエンス」などは、聖書の一説だといわれても納得しそうな瞠目の「漫画」です。“文学を超えた”とも言われるしりあがり作品、爆笑あり、シュールありでどれも外れはありませんよ。ゴドーには現在5~6種あり(まだまだ増える予定)。