「武生 ちちりちちり たりたんな」 この国はどこへ向かってゆくのか

 最近店主日記を書かずに怠けているというご批判を数人の読者の方からいただいた。それではということで、デザイナーの杉本さんに催促されていた年賀状のための文章を掲載することにしました。初春に配達されるものなのに、あまりにも希望がないので、杉本さんに却下されるかもしれないので、あえてこのコーナーに掲載します。

 武生 ちちりちちり たりたんな

 この国の美しい海と村々が
 そして人々が みるみる壊れてゆく
 核分裂が生み出す「金と権力」に群がり
 この列島の千年の文明が
 慈しんだ神々と共に壊れてゆくんだ

 たけふ ちちりちちり たりたんな
 さ きんだちや  さ きんだちや!

 自分の書いた文章を解説するというのは野暮の極みですが、最初の一行と最後尾の二行は源氏物語文中の引用で口ずさみ、囃子詞のようなものです。千年余り前に「たけふ」と囃子詞の冒頭に歌われることの意味合いは、華やかな京の都と鄙(ひな)である地方の国府、武生との比較対象であり、紫式部の越前における歌の中にも、田舎を意味する鄙ヶ岳(日野山)が歌われていたような記憶があります。
 又、「さ きんだちや!」とは元々は身分の高い方々を指しますが、当時庶民にも歌われていた「催馬楽」の中では浅水あたりの遊女が、通ってくる武生の国府の役人に「さ あんちゃん どや!」と呼びかけている意味合いがあると思われます。

 不確かな博識を披露してしまって、少し嫌悪感がありますが、この年の瀬、被爆し続ける福島の子供たちを避難させようともしない腐りきった政治屋たちの集合離散と、太鼓持ちメディアの無能ぶりを毎日眺めている事にはとても辛いものがある。「この国は何処へ行ってしまうのだろう」と人ごとのように語って、この項終わり。

太宰治著、小説「トカトントン」

 先日、求められて書いた越前市図書館会報の原稿を転載します。

 整理の悪い私の蔵書の中から会報に読書感想文を書こうと思っていた太宰の短編小説「トカトントン」を探すことを早々に諦めた。そして、安易にウエブ上でこの短編を取り出して、読んでみることにした。検索したこの著作権の切れた太宰の小説「トカトントン」はウェブ上では太いゴシック文字でしかも横書きであった。

 ここで無粋なゴシック文字を諦めて、図書館へ出向いて太宰治の「ヴィヨンの妻」を探し、その中の短編小説「トカトントン」を読めばよかったのである。しかし、めんどうなのでこのデータをもとに、強引に「友の会」会報のテーマであるミステリーという趣旨に合う文章を書き始めたのである。

 ところが不思議なことに少年時代にあんなに思い入れをして読んだ太宰の「トカトントン」がさっぱり腑に落ちない異質な、船大工の金づちの音である「トカトントン」になってしまっているのである。つまらない駄文であり、小説が壊れてしまっているかのようである。

 考えてみると、日本語で書かれた小説はやはり縦書きでなければその文体の余白というか、思考の有り様が失はれてしまうようである。小説が戦後の大江健三郎や村上春樹など、西洋文学から影響を受け書かれた文体であるなら横書きでもあまり違和感がないのかもしれないが、日本近代文学以降の小説であるなら横書きでは苦しい気がする。

 私は太宰治から島尾敏雄そして中上健次に至る日本文学の小説の系譜の中に不器用で、もどかしいけれども文学的格闘の痕跡というか日本文学の根拠があるのではないかと考えている。この日本語と自らが立ち会った日本の思想的風土に対する確執を抜きにしては文学が耳ざわりの良い万国共通の物語になってしまう。ま、それを良しとする文学的風潮であるなら私の方がそこから去れば良いだけの話ではある。

 この稿を書いている途中で何故か論旨が混乱し始めてしまった。当初書く予定であったラフカディオ ハーン(小泉八雲)にすればよかったとテーマを間違えたことを悔いた。しかしウェブ上で太宰の「トカトントン」を目にしたことで見えてくるものがあって、結果的には正しい選択であったとも思う。

 玉川上水での自死まで三年、惨憺たる敗戦による崩れた価値の転換の中で太宰は小説「トカトントン」を書き、戦後日本の「何」と命懸けで格闘していたのであろうか。

 太宰は人騒がせな駄文書きか、日本第一級の小説家であったのか。
 越前市図書館で本をお借りして是非一度読んでみてください。

今夜のレゲエ アコースティックライブに来てくれてありがとう

-SP-シャバジーとtam-geeとは去年あたりからよく同じ場所に居合わせることがあった。 最初は大飯原発再稼働阻止の福井での意思表示の時である。彼らはギターとボーカルで「美浜の海」というフレーズのあるレゲエをやり、短い時間の演奏であっ たが、インパクトがあり強く印象に残った。次に私が彼らに会ったのは首都東京の代々木公園の17万人を集めたデモのときのステージの上であった。巨万の人 の意志的なうねりの中で歌い演奏するには、表現者の強い思いがないとその空間に負けてしまうことがある。ところがそれぞれの演奏者や歌い手が充分に主張し 得ていたと思う。それだけ福島メルトダウンと原発の再稼働が、世代や立場を超えてそれぞれを突き動かすものがあるということだろう。

-SP-又、出不精の私があえて遠くまで出かけ、その先々で彼らと偶然とであう、これも何かの縁であると思い、このブック カフェ ゴドーでの演奏をお願いし た。ゴドーは若き表現者には全面的に支援してゆくつもりです。イベント、コンサート、その他表現活動の告知などありましたら、またお知らせください。

-SP-という訳で、8月24日夜は若いミュージシャンたちのパワフルなステージでゴドーは老若男女あいまみれて不夜城であった。店はいっぱいの人たちで溢れ、 意思表示のハッキリしたヒップホップ レゲエの渦中にあった。私の記憶の中でこのように地方の若者たちがコピーではない意志の力で自らの音楽を作り上げて ゆくグループに出会ったのは初めてのような気がする。

-SP-音楽的レベルも高く、何よりもギター、ボーカル、ベース、そして赤ちゃんを抱いたサイドにいた若いボーカリストの人、彼らの音楽的コミニティが新しい可能性を秘めた何かに育ってゆくのではないかという希望を感じた。

-SP-誤解を恐れずに言えば、彼らが反原発派の集会に参加しその会場で果敢に歌い演奏したから良いのではない。彼らの音楽的コミニティが地域社会やいびつな列島の悪しき因習を越えてゆく萌芽を感じるから、演奏を聞く人たちに偽りなき共感を呼ぶのであろう。

-SP-若者たちがそれぞれの現実である、「暮らしの過酷さ」に押しつぶされないで、新しいスタイルで歌い続けて欲しい。8月24日の夜に彼らの音楽を聴いて負けないで歌い続けて欲しいと本当に思った。

By 店主

田中一村と「別け雷の神」

-SP-8月の炎天下に金沢に行ってきました。

-SP-孤高の表現者である田中一村の展覧会が石川県立美術館で開催されているという情報をお聞きして、矢も楯もたまらず店の休日である月曜日に店のスタッフとお客さんを無理やり誘って高速道路を時速120キロで走破し金沢まで出かけてきました。

-SP-21世紀美術館近くの地下駐車場に車を止めた。そこから兼六園横の樹木の中を抜け、通り雨に打たれ敷石の坂を登ると石川県立美術館です。田中一村の作品 には20年ほど前、福井の美術館で見る機会があり、その作品世界が忘れられず、再度展覧会に足を運んだわけです。その作品群は私の思いを何一つ裏切ること なく、さらに深みを増し、表現に関わるもの者の潔さというか張り詰めた意志の力を垣間見ることができた。

-SP-ついでに、金沢では古本屋オヨヨ書林を訪ねたいという思いがあったので、暑さや体調も顧みず出かけて来たわけで、特にせせらぎ通りオヨヨ書林の蔵書には古書の新しい発見が有る。何かこの店の本に対する思いのようなものが感じられて感動ものであった。

-SP-又、この金沢で気がついたことは、格段の観光地で繁華街が近いのに車の駐車料金が武生より安いということです。そして、これは私の選択のせいかもしれま せんが、思いつきで入った広坂のカフェや食堂が素朴で味も良く、安価で、何よりもお店の方が自然体で居心地が良かったことです。

-SP-ここには美術館、庭園、カフェ、そしてデザインの洗練されたブティツクなどが多くあり、人の集まる要件が揃っている事に感心しました。街のグランドデザインが機能し、お店の方々に向上心があるということでしょうか。羨ましい限りです。

-SP-私の買いかぶりかもしれませんが、わが町武生も金沢に負けない文化的背景があるのにシャッター商店街と空っぽの私有の駐車場ばかりが目立ち、街を歩く人があまりにも少ないさみしい状況です。

-SP-何が間違っているか、どこを修正するべきかは多分わかりきっているのに、為政者は有効な施策は打つこともなく、市民は市民で未だに行政の補助金やバブルの再来を頼みにする情けない心根があるのか、これでは一向に埒が飽きません。

-SP-せっかく田中一村の優れた作品群を堪能したのに金沢の街に比べて我が町のていたらくを考えてしまうのは残念なことですが、それもまた向き合わなければならない現実なのでしょうがないかなと思います。

-SP-夕方、帰路についた高速道路。武生に差し掛かると俄かに暗き雲立ち込め稲妻走り、わが街は夏の嵐の中にあった。これも何かの啓示でもあるかのように「別け雷の神」の招来をそれぞれに思った。

By 店主

8月8日 快晴 確かに銀ヤンマを見た

-SP-今日は日差しが強いのに乾いた爽やかな風が吹いている。
朝から気分が良かったので、暑すぎたために怠っていたすみれ(柴犬)の散歩に南條の花はす公園に出かけてきた。犬は散歩に連れて行かないと本当に切ない表情をする。「サンポ」と私が小さく口にすると、パッと身を起こし、目がうれしくて泣いているんだ。

-SP-木陰に車を止めて山裾の川沿いをどんどん歩く。すみれも私も、この圧倒的な自然の中で心なしか怠惰な感性がみるみる回復してゆくような気がする。

-SP-この公園の水辺では最近農薬を控えているせいか、糸トンボやしおからトンボが数多く見られた。また王者鬼ヤンマも圧倒的な存在感でまっすぐに飛んでいった。少し山際の方にゆくと驚いたことに薄緑の銀ヤンマだ。それもつがいで悠々と飛んでいるんだ。

-SP-私が銀ヤンマに出会ったのは昆虫採集に夢中だった小学生のとき以来である。夏休み、武生西小学校の北側の長い廊下のガラス戸の中に閉じ込められていた銀 ヤンマを、手の中に取ると、昆虫図鑑の中でしか出会わなかったトンボの希少種であるため、薄緑の宝石のような気がしたことを思い出す。

-SP-あっという間の出来事で二匹の銀ヤンマは風に乗って谷をわたり、岐阜徳山村の方へとんでいった。被爆というこの時代の負の遺伝子を引き受けることなく、夏空の貴公子然として少年たちの記憶の中に有り続けて欲しいと切に思った。

By 店主