ライブの告知です

竹内君と坂君のライブ
9月19日(月)敬老の日
book cafe godou
19時開演
入場無料 ※要ワンオーダー 投げ銭歓迎!!

ゆる〜い感じで昭和を唄います!
会場が狭いので、ほとんど生音になると思います。
隠れ家的な昭和の匂いのする喫茶店です。
古い人間が古い喫茶店で古い唄を唄います。
お時間ありましたら覗いてやってください!
竹内 坂

若狭と滋賀県朽木から雨の中を武生ゴドーまで訪ねてきてくれた。ギタリストの江戸さんとロフトカフェの長谷川さんだ。彼らが訪れた理由は江戸さんの二万枚のcdコレクションをゴドーに下さるというので一部搬入してくれたのである。江戸さんとは1980年代敦賀あたりでよく遊んでいた友人であり、それぞれ時間に余裕ができたための交流再開である。今立のブルースギターの上坂や伊勢大神楽の皆さんも集まりなかなか秀逸なセッションが武生の夜に展開された。途中、江戸さんが先日訪れた沖縄与那国島で出会った島歌を歌う素朴な青年の話が特によかった。いくつになっても旅はするものである。

美しい手紙

美しい手紙灯り

週末に大き目の封書が届いた。

フリーハンド、薄い色彩で波状の手書きの文様のある白地の封書である。切手は桐鳳凰図屏風(狩野探幽)の金色の背景に緑の鳥。近年、かくも丁寧な便りを受け取ったことがなかったので少し感動した。送り主は鋳物師在住、私よりは年長の現代美術家氏である。

先日、お会いした際、私が若い時に友人達と越前海岸の鮎川での無謀な大イベントを開いたときの記録が氏の手元にあるとのこと。いつかそれを見せてください、とお願いしたことによる。私の気まぐれな要望を忘れることなく果たしていただいたわけである。

年を重ねても私は何事もやりっぱなし。あちこち多大な迷惑をかけながら自滅してゆくのがおちで、誰かがその顛末の良質な部分を記録に残してくださっているとは思いもよらなかった。それは昭和59年8月21日の福井新聞の切り抜きや、当時私が書いた「神々との競演」と命名したイベントの案内などである。

越前燎火コンサート アジアに向かって歌え!

夏も終わりに近い越前海岸・鮎川の海辺でイベントを企画しています。古代この地・越の国には厳冬の北西の風にのって、あるいは、対馬海流に進路を預けて、アジアからの文明が流れ着き、特異な文化を育てました。これらの交流は、勿論危険を伴うものでしたし、またそれだけ感動的であったでしょう。

私たちはこの地に住み、ほとんど何も意味しない言葉の洪水や、空虚な音の連続にすっかりうんざりしています。「誰か、本当の歌をうたってくれ!この日本海に向かって、はるか大陸の、なつかしい水辺に向かって、誰か、本当の歌をうたってくれ」ジャンルにとらわれることなく、腹の底から表現したいという心ある人々と、火を焚き、熱い時を共有するつもりです。みなさん、是非、いちばんいい状態で来てください。

1984年8月25日土曜日午後6時から早朝まで

出演、紅龍とひまわりシスターズ、麿赤児と大駱艦、新井英一、コクシネル、八つ杉太鼓、サクスホーンの坂田明とBきよしのドラム、県内の若い人達のバンド

(送付されてきた資料の一部)

あえてこれらのことを公開したのは私の思いが長い時を経て、良くも悪くも全く進化していないということ。また当時の感動と確執の混在した私たちの企画を誰かが確かに受け止めてくださっていた、という感動を伝えたかったからである。

後日、ご近所のピアノの先生の引っ越しの手伝いにうかがったところ、玄関の片隅に越前和紙の張られた照明器具が置かれていた。それがやんちゃな猫のせいで和紙がところどころ破れ、悲惨な状態であった。

作風に見覚えがあったのでひょっとしたら氏の作品でないですかというとそうだというのである。初期の作品で、絵描きの叔父さんが友人である氏から頂いたものであるが、よかったらくださるというので家に持ち帰った。

裏庭の水辺で和紙をはがし、葦と針金の桟を洗い、乾いた春の風をあて部屋に入れた。するとそこに氏が、畑で育てた大根を3本抱えて現れたのである。日野川堤防にはもう桜が咲くというのに。雪に埋もれた冬越しの大根は自らの力で甘くなり、みずみずしい。おろしにし、葱を刻んでごはんに添えたら子供のころ食べていた地元の大根のなつかしい味がしてとてもおいしかった。

随分前の苦しかった海辺の大イベントと美しい手紙、冬越しの大根と越前和紙と日野川の葦を素材にした現代美術。この町をあきらめなくてほんとうによかった。

ブックカフェゴドー店主 栗波和夫

土地の記憶 武生の街も捨てたものじゃない

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2016年1月19日
忘れていたころに猛烈な寒波がやってくる。
この風の強い日の朝、私の店のある府中町に隣接した、越前市銀座通りにある蔭山茂樹さんのお宅を初めて訪問する。蔭山氏宅の端正な玄関先には小ぶりのアンモナイトの化石と細身の木像がさりげなく棚に置かれ、壁には寒椿の尺四方の書画が掛けられている。我家の無国籍でわやくさな玄関とは趣に千里の径庭があり、いきなり深く打ちのめされてしまった。

「花を散らす風に心を悩ます春が過ぎ、
大地より湧き立つ草いきれに胸を躍らす夏が去り
流れる星に祈りを託す秋が終わると、
掌で消える雪に現人のはかなさを思う冬が来ます。

夏しか知らない蝉とは違い、人は季節から過ぎ去った歳月が二度と戻らないことを教えられます。しかし、人は若さを謳歌する時、わが身の老いや死には思い至らない生きものなのか、やがて来る玄冬の寒さを忘れているようです。」
蔭山茂樹著「与謝野晶子と興都庵主」まえがきより

この日、蔭山氏宅を訪れたわけは、越前市の図書館に勤めていた方の注文で無垢の木のテーブルを作りに池之上の工業試験場に向かう車の中でふと耳にしたことに始まる。天板にする欅材があまりに重く運搬をk氏に手伝ってもらった。その車の中で郷土出身の天皇の料理番秋山徳蔵の話になり、腕のいい料理人といえば他にも武生出身の竹内宇助という方がおられたというのである。

竹内宇助。千八百六十六年(慶応二年)、福井県今立郡北日野村岩内(現越前市岩内町)生まれ、早くに実母を亡くし、在所にゆかり薄く明治十四年十五歳で単身上京、料理人を目指し、苦難を重ね、その後、時の大蔵大臣井上馨に贔屓にされ、麻布桜田町、現在の六本木ヒルズあたりに料亭「興都庵」(おきつあん)を開店した。客には福井県ゆかりの岡田啓介など著名な方々が訪れていたとのこと。また開店の挨拶状の草稿は与謝野晶子であり巷間の話題をさらった云々というのである。

そして、晩年竹内宇助が招請した与謝野晶子の武生来訪についての経緯も含めてこの蔭山さんという方が著作に顛末を書かれている。その本の中のいくつかの文章が極めて示唆に富み興味深い内容であるから一読するよう勧められた。

それは旧東小学校の近くの石造りの市立図書館の前にあった大きな栃の樹を巡る切なく悲しい思い出。吾妻町銀座通りの再開発前の様子、そして満州に従軍し病に伏し、難民として大陸を彷徨い帰還した忌まわしき戦争への思い。

私が幼少のころ母が旧東小学校に勤務していたのでその図書館で母を待っていた記憶がある。少し暗かった図書館の鉄の窓から、そういえば木々の葉が揺れていたような気がする。今では幻のようにも思えるがそのかすかな記憶が私の中にいまだ残っている。

おぼろげな私の記憶はさておき、蔭山茂樹著「与謝野晶子と興都庵主」である。家業の表具業を営む中で知人から譲り受けた与謝野晶子の条幅一幅と晶子からの興都庵主竹内宇助にあてた書簡一通を手掛かりに、一人の人間が時代やそれぞれの環境に翻弄され続ける中で、それでもしぶとく自らの哲学のようなものを保持する潔さを物語っているように思える。

与謝野晶子。十代の時に読んだ源氏物語に傾倒、紫式部を師とし、生涯二度にわたって現代語訳に取り組む。明治から昭和初期、政治も文学も人々も等しく大政翼賛会に雪崩るる中、旅順口包囲軍の中に在る弟を嘆きて「君死にたまふことなかれ」と反戦の旗を掲げる。文学が悪しき時代に迎合すべきではないと主張。それ故文壇から排除されるが、十一人の子を育て不調のご主人を庇護しながら歌を書き続ける。その不遇の与謝野晶子夫妻を竹内宇助は生涯支援していた。この興都庵の客には文人墨客から学者、政府要人の集うところになり、そこに昌子夫妻と子供たちもよく訪れていたという。

千九百三十三年晩秋、竹内宇助が幼なじみの前田甚兵衛とともに与謝野晶子、鉄幹夫妻を武生町に招請し村国山の麓「いただきの亭」(竹内宇助の別荘)に迎えた。日野川対岸の料亭「魚留」の仕出し料理を注文、ご主人が吟味した料理を自ら届けに来たとのこと。また国分寺など地元の古刹をめぐり味真野の毫摂寺(ごうしょうじ)まで足をのばしここで揮毫した。寺には千九百九十五年昌子の歌碑が建てられている。

もう十年余り前になるがまだ元気だった母と毫摂寺で開かれていた地元の文化祭の催しを訪れたことがある。その折与謝野晶子の歌碑を見た様な記憶があるが定かではない。むしろ大猪を退治したという「のゑ女」の像を何故か覚えている。冬の嵐が去り根雪が解けた頃に五分市(ごぶいち)まで出かけて与謝野晶子の歌碑を探しに行くつもりである。そして門前町で手焼きの名物「のゑ女」せんべいを買ってみようかな。

ブックカフェゴドー店主

菫(すみれ)は深く病み「神様はつらい」

菫

 極私的なことで恐縮であるが昨年末から私の長年の相棒であった柴犬「すみれ」が深い病の淵にある。友人の動物病院の先生に診てもらっているが、高齢のせいで次々と悪い症状に陥っている。最近では薬も嫌がり横たわり続けるだけで、無表情に食事もしない。今朝も寒いので暖房をつけ、眠っている「すみれ」に毛布を掛けて仕事に出かけてきた。いつもは悪ふざけして大さわぎの猫たちも気配を察してか、みんな静かにしているんだ。

 この柴犬は十年以上前、福島から横浜経由でやってきた。私の悪い友人で詩人の南部和夫の娘さんが住宅の事情で飼うことができなくなったとのことで、武生の私の家に来た。当初はちいさく痩せていて、狐のような顔をしていたので「きつねちゃん」と呼んでいたが、だんだんかわいくなってきて元の名前「すみれ」とか「ちび」とか呼んでいたものである。

 私の家には以前娘が国高のコンビニの前で拾ってきた「たぼ」という先住の犬がいた。そのせいでしばらくは確執もあったが、そのうち折り合いもつけて仲良くすみ分けていた。

 犬たちの環境はさておき、この二匹のおかげで私は様々な忘れがたき風景に出会うことができた。

 日野川河岸の新雪の中で転げまわった記憶
 雪晴れの日に見た向井新保の
 背丈ほどの鳥居の岩田神明社
 先年他界した母と
 草を踏みながら歩いていた
 春の陽だまり
 鋳物師の葛の葉茂れる堤防の小高い道
 心地よい川風と
 その風に乗って聞こえてきた神楽の篠笛
 村国山西麓に点在する別荘群の
 西日に映える美しい紅葉

 たぶん一人では立ち会うことのなかったかけがえのない瞬間がそこにはある。

 しかしながら、二〇一六年、世界は殺戮と憎しみに満ち、国内では先の大戦でも死滅することのなかった民族主義イデオロギーを、あおる輩が多数派を占めつつある。世界は戦争に向かうための準備を始め、いつのまにか人心は憎しみのベクトルを張り巡らすだろう。

 去年の秋、福井のメトロ劇場で見たロシアの長編映画「神々の黄昏」。主人公が土砂降りのぬかるみの中で何度もつぶやく「神はつらい」「神様はつらいんだ」と

ブックカフェゴドー店主 栗波和夫