月別アーカイブ: 2012年3月

長浜 盆梅展

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-SP-日曜日に滋賀県の長浜に梅の盆栽を見に行ってきました。長浜は昔から気になる街で多分今までに何度も訪れているのだけれども、来なければよかったと思ったことは一度もない。武生も来訪者にそんな気持ちにさせることが出来たらよいのだけれども、残念ながら望めそうにない。

-SP-梅の盆栽は古木を初めは山深く分け入り探して持ち帰ったものを、時間をかけて育て展示したのが始まりらしい。個人の趣味からここまで大きく長浜の街のイメージにまで発展させることが出来たことは、地元の人々にとっても意義深いことであろう。

-SP-またこの盆梅展に開かれている屋敷の庭には巨石の灯篭や石碑が多くみられ、琵琶湖の水運の隆盛と関係があると、勝手に想像することができる。また展示してある梅の盆栽はその古木の風合いが際立ち、それぞれ固有の物語を秘めた景色を感じさせる。

-SP-3月の長浜のまちは訪れる観光客にやさしく、駐車場も駅近くに完備し、何よりも広くて安いのが良い。ガラス館のある黒壁あたりの食堂やカフェもなかなか充実していて、おいしく、又訪れたいと思わせる身近で良質な街であった。

まだ寒き春に  By 店主

越前市向新保 岩田 神明社

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-SP-2月のとある雪晴れの日、以前から気になっていた越前市郊外の日野川右岸、向新保(むか いしんぼ)に鎮座する小さな鳥居のある祠を尋ねた。私はそれまで、この祠については、前を通るたびに何故か不吉な印象を憶えていた。それはこのあたりでの 織田信長の軍勢と越前一向宗門徒との戦さで亡くなった多くの人々への鎮魂のために祭られたものではないかと勝手に思い込んでいたためである。

-SP-しかし、この日の鳥居と祠は雪景色に映えて美しく、ある種の威厳さえ感じられた。それにもまして驚いたことには、この雪のため車も入れない川岸の祠を参 拝した新しい足跡があることであった。深い雪をひとりで踏みしめ、誰が何をお参りしたのだろうか。私の他にもこの町には物好きな人が居住していることに、 しばし考えさせられた。

-SP-この鳥居も祠も福井足羽山産の柔らかい笏谷石(しゃくだにいし)でできているせいで角が取れ、朽ちかけている。また、門番は狛犬の代わりに鶏である。この鶏の門番は越前市近在の神社や祠では今まで見たことのない大変希少なものであると思われる。

-SP-私にとって、この日の雪の中の小さな鳥居と朽ちかけた鶏の門番と祠は、川向こうの山に鎮座する国兼(くにがね)の大塩八幡宮、まさに北面の越前国府を見据えた格調高いその社にも引けを取らない美しい風情であった。

-SP-後日、私が携帯電話のカメラで撮ったこの不思議な鳥居の写真を拡大して、誰彼かまわず自慢して歩くものだから、この社についての情報が次々と集まり始め た。最初はどうもこの社は日野川の治水のための祈りではないかという武生古代史研究会の推論であった。その後、南地区の「語り部の会」の長老が調査資料を 持っておられるということで、その資料をお借りすることが出来、この不思議な祠の背景が明らかになった。

-SP-この「私が生まれた向新保」という服部興兵衛氏の資料によるとこうである。豪雪の今庄の奥から流れ下り、この松ヶ鼻で蛇行する暴れ川の氾濫を防ぐために、岩山を切りだし、その岩を並べ堤防を守る「岩刎(いわばね)」を三か所に築いたのは古郡文右衛門であると。

-SP-この古郡文右衛門の先祖は伝承によると推古朝の頃、近江の国、和迩庄(わにのしょう)小野に住し、小野姓を賜るとある。また、その子孫は武州府中に任国 し、この地で古郡姓を称した。この一族はその後、新田開発や富士川治水に貢献した。また元禄七年には越前、能登に場所をうるも、拝領屋敷は江戸表六番町と された。

-SP-この古郡文右衛門の来歴が確かであるとすると、近江和迩庄、小野姓、武州府中、従五位下、石積み、このキーワード、どこから辿っても、この一族は治水と 石組みにたけた渡来系インテリゲンジャの末裔である。また、服部興兵衛氏が生前その著「松ヶ鼻用水沿革史」を進上された古郡文右衛門九代孫の古郡哲弥氏も 昭和12年当時、内務省、今は建設省国道改良のため敦賀に14年、敦賀・福井間国道改良調査のため、河野、武生、鯖江に滞在されていたということである。 まさに一族のDNAが時を越えて震えている感がする。

-SP-また、この「岩田の神明社」は当初は向新保の森の中にあったものを区画整理のため、現在の日野川右岸に移築されたということである。しかしこの社のあた りは人家から離れ草深く、カラスがたむろするせいか、廃棄物を捨てに来る輩が横行している。先人の労苦を思えば、このような不届き者は市中引き回しの上、 打ち首獄門もやむなしである。

-SP-2011年春3月 私たちはくらしの快適さを求めるあまり、かけがえのない故郷を失くすという、愚かな選択を自ら招きよせてしまった。しかし振り返れ ば、私達はこの雪の中のなんでもない小さな祠から、遠く半島経由で渡来した文明の、千年の息吹までも垣間見ることが出来る。これもすべて古郡文右衛門、服 部興兵衛氏、服部節子さん、そして松ヶ鼻の石を切り、運び、護岸のための「岩刎(いわばね)」を積み上げた向新保近在の人々の労苦と、この社の建立があっ て初めて思い描けたことである。そして私達が見失ってしまった自然と共存する知恵と切なる祈りを、この雪晴れの「岩田神明社」の向こうに見ることができ る。

By 店主