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夏の嵐と石徹白(いとしろ)

                     夏の嵐と「石徹白」(いとしろ)

 7月24日、小学校も夏休みだというのに早朝から嵐であった。その豪雨の雲の隙間を縫って白山の麓、岐阜 「石徹白」へ行ってきました。「石徹白」は福井県越前市の白崎町から日野山の麓、そして五分市の萱谷などを支配していた直参旗本、金森左京の深き因縁の地でもある。また以前、民俗学の野人、宮本常一のすぐれた調査資料を読んでいたせいで、この不思議な村が以前から気になっていた。

 そして、こののどかで神秘的な村は私が学生時代によくその詩を読んでいた鮎川信夫のふるさとです。鮎川は先の無謀な戦争から運良く帰還し、この石徹白川のほとりで戦後詩、かの「荒地詩集」草創の傑出した詩群を書きついでいた。 

 上村隆一が鮎川信夫の本名ですが さもありなん、この集落は上村と上杉、そして石徹白という苗字の家が多く点在していた。また何故、上村隆一が鮎川信夫なのか、この尽きない清流を眺めながら私はひとり得心した。 

 「石徹白」は余りにも遠く、渓流に沿った行程が危うそうなので、出かけるにはいつも二の足を踏んでいた。しかし、ひょんなことで最近知り合った伊勢大神楽 山本源太夫一座の斉藤さんと水族館劇場の杉浦さん、そして工芸作家の千尋さんと「いとしろ」というキーワードでなぜか意気投合し、それではというので私のボロワーゲンに乗って出発した。しかも彼らの生業である神楽の都合上、天の機嫌の悪い日にしか行くことができないという条件を見事にクリアした結果である。 

 一路、霊峰白山を目指し、途中いくつかの崖崩れをものともせず九頭竜の源 石徹白川に沿って谷水を巻き上げながら爆走した。夏の嵐のあとでもあり山と渓流は深き緑の中にあり、幸いにも白山中居神社に至るまで、ほとんど人や車に出会うことはなかった。 

 この神社のありようはなかなか趣が有り銅葺きの鳥居をくぐり、巨石の間から渓流に下り、石の橋を渡ると、右上方に大杉を背景にした本殿が鎮座している。幾本かの千年杉がまるで壮大な寺社建築の一部のように迫ってくる。この村に来て人影をまるで見なかったせいで、この圧倒的な風景がまるで私たちの来訪を待っていたかのような錯覚に囚われた。 

 今回の突然の石徹白行きの顛末は国高の「ブックオフ」で先日購入してきた「田口ランディー」著の分厚い本「聖地巡礼」の幾多の考察よりもスピリチュアルで圧倒的であった。三軒茶屋の居酒屋で飲み過ぎた田口ランディーにもし会うことがあったら「石徹白」を抜きにして「聖地巡礼」はありえない旨をレクチャーするつもりである。 

 この村があまりにも不可思議な空間だったので不覚にも私はこの集落で心地よいめまいに襲われた。よろめきながら同行の諸氏にその旨を語ると、「脳梗塞じゃないか、帰りの運転気をつけてよ!」と冷たくあしらわれた。 

 この石徹白は近年スイートコーンの生産で名をなしており、少ない平地には整然と唐黍が植えられていた。それでもこの生でも食べられるという甘いコーンが実る頃「山のおんさん」(猿)や猪、ハクビシンとの生存をかけた闘いを思うと、人ごとながら暗澹とした気持ちになる。なんとか棲み分けをしてゆくことができたらと願うばかりである。 

 何かと人道的な思いを垣間見せながらも、帰路には大野の「トンチャン」を食することに誰も異議を唱え無かった。この大野の「トンチャン」についてはある辛い経験が伝承されている。それは神楽横笛吹きの浦島さんが休日にひとり武生から汽車を乗り継いで大野を訪れ、星山ミートへわざわざ「トンチャン」を食べに行ったのだけれども、どの「トンチャン」屋も定休日で全く食することができなかったという伝承である。 

 それで私たちが最初に訪れた目当ての店は定休日であった。夕方、嫌な予感の中で街を徘徊し、とりあえず地鶏屋の看板をみつけてなだれ込んだ。地鶏屋で「トンチャン」を注文するのは気が引けたが、当初の目的でもあったので「トンチャン四人前と生ビール大!」と大きな声で叫んでしまった。空腹は羞恥心を凌駕する。大野の「トンチャン」は味噌味でなかなか奥深く、それにも増して「地鶏のひね」は看板にたがわず絶品であった。しかし生ビールを注文したのは私なのに車の運転のため、私だけ生ビールを飲むことができなかった。これは大野「トンチャン」のくやしい思い出として長く記憶に残りそうである。 

 あまりにもおもしろかった「石徹白」訪問について書き留めようと思った文章が大野の「トンチャン」にすり替わってしまった。表題を「民俗学は食欲に敗北する」に変えるべきであったか今でも迷っている。