月別アーカイブ: 2014年1月

虹の彼方

 山科から武生ゴドーにやってきたコーヒーの木 

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「こんな街なんか 振り向かず、走り去ってしまえばいい!」

と、福島の惨状を放置したまま原発再稼働に奔走し、検察や軍、それに宗教政党まで悪乗りして特定秘密保護法を法制化し、とんでもない「国家」を目指そうというこの国の政府や、哲学なきこの街の行政に絶望して、某誌に上記の表題のエッセイを掲載したばかりなのに、この度「世の中そんなに捨てたものじゃない」という個人的な出来事の顛末を書くことにあいなってしまった。

というのも、最近あまりにも不思議なことが連続して起こるので、良いことは書き留めておかなければという思いでこの文章をしたためた。 

先日の午後、持病の腰痛の気晴らしに南条の杣山温泉に福島から来たスミレという太った柴犬と連れ立ってでかけた帰り道でのこと、雨が上がりの日野山の麓に西日をうけ、小さな虹が出ていた。見落としそうな薄い虹で、何かいいことがあるかもしれないと思いながら、日野川堤防のバイパスを疾走した。すると次の谷にも、その次の谷にも連続して鮮やかな虹がかかっているんだ。松ケ鼻のトンネルを抜け、緩やかなカーブを曲がるとそこには我が家のある武生の駅の方から日野山の頂上に向かって今度ははっきりとした大きな虹がかかっていた。思わず「大願成就!」とつぶやいてしまった。 

「なあんだ、そんなことか」

と、思われたかもしれないが、私が語りたかったのは現代美術家「靉嘔」の虹の連続ではなく、私の腰痛の原因でもある、京都山科行きのことである。今回の同行者は先日コーヒー産地グァテマラの視察に行ってきたブック カフェ ゴドーのアルバイトY君である。そしてなぜかいつも横にいる年長のギャルソン、M君である。 

私が遠くへ出かけるとき、天気予報はいつも暴風雨であるが、この日も予報は外れて穏やかな朝であった。高速の安全を祈願して堤防沿いにあるいつもの岩田神明社に一礼して南條サービスエリアのetcゲートをくぐった。目的地は、 ゴドーの「たたかうコーヒー」の仕入先でもあり、かねてからコーヒーの焙煎を教えていただくため、お願いしていた京都山科百々町(どどちょう)の前坂さんとおっしゃるご夫婦のお寺である。 

山科の国道一号線から脇にそれて、小さなお寺に着くと、プレハブ小屋から出てきたおっさんが「くるまこのわきにとめや」と指図するのである。なんやこのおっさんと思いながらも、三人でプレハブの小屋に入る。小屋の中は香ばしい香りが充満していた。そこには背丈ほどあるコーヒーの木の鉢植えが所狭しと置かれ、重厚な古い焙煎機が回転していた。脇の台の上には袋詰めのコーヒー粉がいくつも無造作に置かれていた。壁の黒板に書かれた内容によると、お寺の仕事で住職が不在の時は、お客さんがメモを残して自由にコーヒーを持ち帰っているようである。なんとおおらかな対応であるかと感動し、ご住職はどこのご出身ですかとお聞きしたところ即座に「九州筑豊や」と答えられた。さもありなん、こだわりのない太っ腹である。 

四十年ご夫婦で格闘してきたコーヒーの焙煎や営業のノウハウを惜しげもなく公開され、この仕事に熱意あるY君に丁寧なアドバイスをいただいた。ゴドーではこの豆に「闘うコーヒー」と命名してまさに正解であったと考えている。 

私はといえば朝から何も食べないで車を運転していたので空腹の極み、前坂さんの熱心な指導も上の空で、コーヒーをここに三十年来買いに来られているというお客さんの三田さんという方と、世間話したり、食堂の情報をお聞きしたりで、不謹慎極まりない限りで、仕事に対する思い入れの欠如に我ながら呆れてしまった。それでも嗅覚だけはいまだ健在で三田さんの娘さんご夫婦が最近開店した馬町の「ル ピック‐アシエット」このフランス料理店のランチを彼に予約していただいた。このお店は山科から近く、五条の坂を降りて左に入った渋谷通りに凛として佇んでいた。良い店はエントランスから緊張感が感じられる。我がゴドーも見習わなければいけないとその時は自戒した。 

私はこれまで格調高いフランス料理店へ入ったことがないので比較することはできないが、前菜から肉料理、ワインにデザート、そして最後のコーヒーまで充分に満足できるものであった。お店の若い人たちがその感性や技術を極めながら仕事をしている姿は美しく、偶然この店に来ることができた幸運を三人で喜び合った。 

また「たたかうコーヒー」の前坂さんは四十年程前、訳あって就職ができずに街をさまよっていた頃、三条堺町の「イノダのコーヒ」の芳醇な異国の香りに感動して、奥さんとふたりで二カ月半毎日入社をお願いしに店の前に来ていたというのである。そして、ようやく会長さんの目にとまり入社を許され、コーヒーの焙煎を習うことができたということである。その頃の私はといえば京都周辺の詩人たちとイノダ旧館の白いテーブルクロスの上のコーヒーを能書きを言いながら偉そうに飲んでいたわけある。 

このイノダ仕込みの前坂さんの「たたかうコーヒー」が武生ゴドーに開店当時からあるという偶然性をなんと表現したらよいか、私にもわからないが、本当に不思議なことである。 

また山科を去るときには寺を建て替えるのでプレハブの中の備品を整理したいのでなんでも持ち帰るように言われた。コーヒーの木の鉢植え、重厚な焙煎機、新品のポット、なんでもくださるというのである。三人とも耳を疑ったが、ご厚意に圧倒されて私の車に詰めることができるものだけは頂いて帰路についた。私の武生からの手土産は加茂さんの鍛造「ながたん」だけであったが京都山科からはたくさんのものと皆さんの暖かい気持ちを頂いた。おかげで帰りの車の中はコーヒーの香りと大きな鉢植えやポットの山でわさわさ。同乗のMくんを山科駅で下ろす話も持ち上がったが、あまりにもさみしい顔をするので、後部座席の隅に斜めに座ってもらった。

それにしても

「世の中そんなに捨てたもんじゃない」 

  越前市 ブック カフェ ゴドー 店主   栗波和夫

こんな街なんか 振り向かず 走り去ってしまえばいいんだ

長く生きすぎたせいか 古い神社や鎮守の杜、巨石のある遺跡が気になって仕方がない。最近よく出かけるのは吉野瀬川の左岸にある大虫廃寺跡の塔の基石のあるところである。この大虫廃寺跡から武生の街並みや美しい日野山が一望できる。また振り向けば大和の三山を思わせるなだらかな風景がある。

この塔の基礎は、子供の頃よく登って遊んでいた茶臼山の古墳の石室の巨石と素材が同じ感触である。また、少し風の吹く晴れた日にこの石の上に立つと、暴れる日野川流域である古代の武生盆地を塔の上から見渡しているような錯覚を覚える。

また、この辺りは鬼ヶ岳など石山のおかげで良質な湧水があり、水利が良いせいか高森陣屋跡や大虫神社、少名彦神社、それに丹生郷の集落跡などが点在している。私の想像ではこのあたりに古代の越の国の基礎があったのではないかと考えている。当時、ここから二百人余りの丹生軍団が奈良に向かって献上品を警護したという木簡の記録も残っている。

しかし、残念ながらこの遺跡の周りは既に巨大企業の建築物や、そのだだっ広い駐車場に包囲されている。最近、大虫小学校の近くの懐かしい森も切り倒され、つまらない建築物に置き換えられた。寂しい限りである。

私は国家神道など、怪しく捏造されたものには、一片の興味も持たないが、古来から慈しまれた、それぞれの地のささやかな信仰には敬意を払っている。この越前市の古刹や大虫地区の史跡を大切にする有効な展望を開いてゆくことができたら、この街も穏やかな住みよい街になるかと思われる。

とはいっても、原発再稼働を画策するとんでもない輩や、特定秘密保護法で失政を隠蔽したい考える松下村塾や松下政経塾では望むべくもなく、私は「よわき平」の方に去り

物言えば唇寒し秋の風」か       越前市 栗波和夫

葛の葉と折口信夫 その壱

南条町の鋳物師近く、日野川左岸に沿って新しくできたバイパス道路のおかげで私と福島から来た柴犬「すみれ」の密かな散歩道がある。夏でも川風が涼しく、ここからは日野山や国兼の大塩八幡宮が一望できる。 

八月三十一日、この小高く続く堤防のあたりはいつのまにか葛の葉が生茂り、道も狭く、川下に向かって緩やかなカーブが長く伸びていた。そしてその葛の紫の花の強い香りがあたり一面に立ち込めていたが、今日は列島に台風が近づいているせいか、その花の香を蹴散らすように強い風が時折吹き荒れ、いちめんの葛の葉が白く波打っていた。

折しも明日九月一日、奈良県桜井市の談山神社(たんざんじんじゃ)では近畿迢空会が主催する折口信夫没後六〇年の式典が催される。この式典に京都吉田山、白樺連歌の会の石田博氏と談山神社の神主長岡千尋氏に強く参加を促され、巻き紙に毛筆の手書きの案内状が届けられていた。これもなにかの啓示かとも私には思われ、中沢新一の「古代から来た未来人 折口信夫」の本で最近盛り上がっていた武生迢空会のもうひとりの千尋さんをお誘いして、飛鳥の地図を頼りに私のボロワーゲンで出かけたのである。

とはいっても大型台風の接近である。午前八時の出発予定なのに列島を横切る台風の予報をニュースで見ながら七時半になっても私は出かけるのを躊躇していた。しかし思慮の浅さだけが取り柄の私としては「風速五〇mの嵐の中でも出かける」と石原裕次郎のように眦(まなじり)を決するのである。

私の嫌いな石原一族はともかく琵琶湖西岸は余裕で疾駆したが、芭蕉がこよなく愛した瀬田唐橋の風情を見たかったばかりに道に迷い、大津で時間を浪費してしまった。そして気を取り直しようやく京滋バイパスにはいり巨椋インターにたどり着く。そこから奈良、天理、桜井と入ってゆくわけであるが、途中、巻向、三輪山、明日香、大神神社、崇神天皇陵など、歴史の教科書や古代史のパンフレットの中でしか見たことがない地名が次々に道路標識に表示されている様には、思わず「ありゃー」、「うへー」という感嘆符でしか表現できない状態に陥ってしまった。

目的地である談山神社の参道の前で車を降り、気を沈めながら石畳の細い道を登ると山門が現れる。かの藤原鎌足と中大兄皇子が蹴鞠をしながら「大化の改新」を画策したという拝殿前の広場の奥には唐の国を思わせる不思議な十三重の塔がそびえている。その塔の片隅に近畿迢空会の建立した折口信夫(歌人名、釈迢空)の多武峰(とうのみね)迢空歌碑がある。

しかしながら、談山神社本殿での折口信夫没後六〇年の式典にたむけられた神道の祝詞は聴きごたえがあった。その語尾の流暢さもさることながら「のりと」がきわめて詩的で趣があった。また、神仏習合の記憶をたどるかのように、近在の当麻寺の御住職もおいでになり、その学僧のような風情で小さく柏手を打つ様子に立ち会えたことは、こんなに遠くまでやって来たかいがあったというものである。

葛の花踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり             釈迢空

越前市 ブック カフェ ゴドー店主  栗波和夫