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第二回武生古代史研究会報告

4月7日夜、第二回の研究会が開かれた。講師は福井県立朝倉氏遺跡資料館全館長の水野和雄先生にお願いした。というのも私たちの研究会のメンバー内で第二回は水野先生にお願いしたいと考えていたところ、先生がこの研究会の開催場所である「ゴドー」の方へ以前何度か足を運ばれていることが判明し、その偶然性に驚いた次第である。

そして先日、駅前の平和堂の上で真柄甚松先生の国府に関する講演会があった夜、ゴドーの方に水野先生が立ち寄られた際に、すかさず講演をお願いすることができた。水野先生は大阪の出身であるため、「越前」に対する私的な思い入れは皆無である。越前の国府は当初は敦賀に置かれ後に武生に移ったと主張されておられるし、紫式部は武生に滞在していなかったのではないか、また今立に数多く残る継体天皇の伝承は史実ではなく明治維新前後に作為的に作られたものとのことである。

前回の講演会の真柄先生と同じ考えは継体伝承の真偽のところだけであり、同じテーマの研究であっても文献からの考察と考古学からとではかくも異なるのかと、今回の講演会参加者諸氏は考えるところが多くあったようである。

また、越前市の庁舎前に建てられたいくつかの石碑の中に流暢な書体で古代歌謡「催馬楽」(さいばら)が真仮名で彫られている。水野先生の国府所在地に関する論拠はこの古謡の「みちのくち たけふのこふにわれありと おやにもうしたべ こころあひのかぜや さきんだちや」のなかにあり、この「たけふのこふ」は武生の国府ではなく、武生の古府であり、武生に国府が置かれた以前の国府所在地である敦賀であり、あひのかぜとは敦賀湾に吹き入れていた交易の風であるとのことである。また仏教がやってくる前、武生の国府では大虫神社、船岡神社、大塩八幡宮を建立し怨霊や疫病を廃するバリアーを張り国府を防衛したとのこと。

古代の越前に関する資料は極めて少なく、遺跡の発掘もままならない。現在私たちの住んでいるこの旧市街は空家が目立ち、駐車場がみるみる増えている。そのような中で語り継がれるべき街の来歴を知ることはそれぞれの思いの根拠にもなり、なかなか深いものがある。その意味でも越前の古代にさらに想いを寄せていこうと考えている。

武生古代史研究会  栗波和夫

「どこかでどうどうと風が鳴っている。

去りゆく魂だけが誰かのこころに届くなんてことが

あるのだろうか。」

多分、一昨年だと思われるが福井市のホールで上記のセリフのある「アラル海鳥瞰図」という題名の演劇を見た感想を地方の小冊子に書かせていただいた。その内容は地方の演劇の可能性について述べ、地元の若者たちがその表現の世界でめげずに闘っていってほしいという希望のようなことを書いた記憶がある。

脚本は茨城県の高野竜、演出は京都の根本コースケが担い、役者は県内の各劇団から集められた。その7人の若い役者たちがその難解な役を充分演じきっていた。そして私の日頃思っていることに重ねてつらつらとその演劇について能書きを書いた。

そして、もうすっかりその劇の記憶を忘れていた頃、私が仕事をしている店に若き女性が現れ、私の前にそっと立った。彼女は「アラル海鳥瞰図」の劇について書かれた私の乱暴な文章を誰かに進められて読まれたというのである。

この「アラル海鳥瞰図」という劇は東アジアの流浪の民に思いを寄せる深い内容であり、優れた脚本であった。彼女はちょうどその頃、演劇活動を続けるべきかどうか思い迷っていた時でもあり、私の文章が自分に力をくれたとのことである。そしてそのことを、演劇の人らしくはっきりした口調で語り謝意を述べられた。

私は暗闇で誰かに背後から襲撃されるという恐怖はあっても、私が見知らぬ誰かに希望を感じさせるという経験はあまりなかったので、驚いてしまった。それにしても私にとっては本当に嬉しい便りである。

朝鮮半島の無言の仮面劇が背後でゆっくり揺れている。そして

「どこかでどうどうと風が鳴っている。

去りゆく魂だけが誰かのこころに届くなんてことが

あるのだろうか。」

              ブック カフェ ゴドー店主  栗波和夫