月別アーカイブ: 2014年5月

武生の国府と「今来才伎(いまきのてひと)」

大塩八幡宮 石田博《 大塩八幡宮 石田博 》

 三月、越前市国兼、山裾に鎮座する大塩八幡宮。
杉の巨木に囲まれた長い参道は笏谷(しゃくだに)の緑色の石段にて山門へと案内される。その石段の中程に座り石田さんは擦り切れた画板を広げていた。

 この大塩八幡宮は越の国府を望み北面を守護する。それゆえ山陰になる参道脇には未だ雪が残る。石田さんはこの凍える位置から山門に向かい墨とパステルを手に対峙されていた。青春十八切符とは、よく名付けられたもので、この切符のおかげで石田さんは寝屋川から何度もこの大塩八幡宮を訪れていた。

 この八幡宮の背後の山では東大寺の甍、鴟尾を焼いていたという窯跡が散見される。京都大学の上田正昭氏の語られる「今来才伎」(いまきのてひと)と称される職能民の集団。この七世紀頃に半島から新しく渡来した人々によって持ち込まれた技能によりここ越の国が力を付け繁栄した。

 石田さんが最初に武生(現越前市)を訪れたのは四十年程前、新婚旅行の道すがら、大工の友人と連れ立ってやって来た。蛇行する越前海岸の夜の道ではバッテリーの上がった借り物のワーゲンをみんなで押しながら走った。途中、小曽原の陶芸村では陶芸教室に参加し土をこね、石田さんはそこで奇妙なオブジェを制作した。また福井県陶芸館ではかの塚原介山の作品に出会い、二人でいたく感動した記憶がある。次にお会いしたのは今立大滝の岩野平三郎製紙所の和紙を求めにこられた時である。岩野さんでは良質な鳥の子の大判の和紙を一抱え持ち帰られた。

 その後、石田さんはスペインに移り住み陶芸を本格的に学び、メキシコ、ヘルシンキ、パリと、ご家族を引き連れ作品の制作とその個展のため出国されていた。私も誘われるまま便乗してバルト海の砲台跡やパリのバザール、初夏の爽やかな雨の中にいたことがある。

 そして国兼大塩八幡宮である。
列島の渡来文化の根拠地でもある河内、寝屋川から、鉄、陶、紙、漆など今なお「今来才伎」の痕跡の残る「武生」に石田さんは何度もやってくる。この越の国の守護でもある大塩八幡宮へ引き寄せられる石田さんの訳のわからない感性を私はいつも嬉しく思っている。

越前市 ブックカフェゴドー店主 栗波和夫

長浜曳山まつりと神楽

 

先日、伊勢大神楽講社山本源太夫組の浦島さんにお誘いを受け友人と共に滋賀の長浜を訪れた。その日は曳山まつりの当日で、街中にいくつもの曳山が繰り出し、太鼓や横笛の音が遠くから聞こえていた。この日、長浜は祭りの真ん中にあった。

各町内の曳山は半端ではなく、子供歌舞伎の装束もしぐさも日本三大山車祭にふさわしく本格的なもので、町衆の力の入れようもなかなかのものであった。また神楽の斉藤さんは仕事の途中のせいか羽織袴で様になり、祭りの中でその場所を得ていた。そのせいか何故かあちこちでお客さんに声をかけられていた。

もうずいぶん前になるが私はクラフト関係の商品開発の仕事の視察で何度かこの街を訪れていた。その時の印象は黒壁ガラス工房とギャラリー、お土産屋さん、それに中心にあるお寺しか見るところがなく、どこにでもある地方都市の風情であった。ちょうどその頃、滋賀県と長浜市がまちおこしのために力を入れ始めた頃ではないかと思われる。

この長浜は琵琶湖のほとりでもあり、お城がありなかなか美しいところであるが、この繰り出された曳山とその上で演じられる子供歌舞伎の風情は秀逸なものであった。以前春先に「盆梅展」の鑑賞に来たがそれも格調高く見応えがあった。古くからの伝統的な美と新しいクラフトなどが近年この街にうまく共存している感がした。

この街の私のお気に入りは「さざなみ古書店」とその近くの本のセレクトショップでもある庭のあるお店、それに駅近くの戦後から時間の止まっている中島屋食堂、路地の奥まったところにあったおしゃれなカフェ、桜吹雪の湖岸道路、朝日神社から登る山本山城趾。神楽の浦島さんのおかげで多分生涯訪れることがなかったはずの不思議な場所にゆくことができた。

浦島さんと最初にお会いしたのは武生の日野川村国橋近くの水辺である。私が「すみれ」という柴犬の散歩でいつもの護岸道路を歩いている時、遠くからの懐かしい横笛の音を聞いた。その時は誰が笛を吹いているのだろうと思いながら通り過ぎたが、その後、偶然私の店を訪ねてくれた時にあの笛の音の主が御本人であったことに驚いた次第である。

あまり長浜を褒めすぎなので少し苦言を呈すると、やたら対岸の饗庭野の軍隊が祭りの前面に出ていることが気になった。そのうち徐々に町衆が力をつけ豊かになり、自分たちで祭りをやれるようになることを願うばかりである。

 

ブックカフェゴドー店主      栗波和夫