羽賀寺十一面観音立像

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八月、休日の午後、小浜の羽賀寺を初めて訪れた。この寺は鳳凰の羽が舞い降りたという伝承から羽賀寺と命名された。

この寺の十一面観音は女帝である元正天皇の勅命で行基が建立したと伝えられている。しかし清水町越智神社の神主さんの見解ではこれは泰澄の作だというのである。それで、へたな木彫の徒である私が出かけて検証しにきたわけである。

以前、滋賀県湖東にある高月渡岸寺の十一面観音は何度か拝観に訪れたことがあるが、この羽賀寺の観音様は等身大、彩色も残り美しい。後日談であるが、旧知で考古学者の友人の見解ではこれは国宝に指定されるべき優れた立像であるとのこと。

若いころには通り過ぎていた日本の古い創造物になぜか無性に心惹かれるようになった。年のせいかな。

行基は泰澄より十歳余り年長であるが、白山に修験の道を極めた泰澄を訪ね教えを請い、仏像製作の手ほどきを受けたという。

蝉時雨の中、訪れる人のいない長い石段を手すりを頼りに上りきると、軽いめまいに襲われた。そういえば三年前、台風の日に伊勢大神楽の友人たちと石徹白(いとしろ)の白山中居神社を訪ねた。その時も車を降りると不意にめまいを覚えた。多分、泰澄の縁ある場所ではいつもこのような感覚に陥るのかもしれない。不思議な偶然である。

”めまい”という私の体内時間の判別ではこの観音様は泰澄の仕事かもしれない。彼が建立した名古屋の荒子観音寺の秘仏十一面観音を拝観し、見比べてこようと思う。この尾張の荒子というところは古代の継体天皇から中世の武闘派荒子衆、前田利家に至るまで越前とは何か深い縁があるようだ。

若狭の地には、古代から行基や泰澄の思いを信仰の対象に昇華できる優れた職人が朝鮮半島から渡って来ていた。去年、五湖のほとりの鳥浜では伊勢大神楽山本源太夫組の総舞も復権された。

小浜からの帰路は海岸沿いを走り、縄文遺跡の残るこの鳥浜の「徳右ェ門」で鰻丼の上を食した。いと美味であった。そこから敦賀、杉津を過ぎ、高みにある大良(たいら)の道の駅から夕暮れの海を見た。日も沈み水面は薄い緑色に覆われ漁火がいくつもいくつも遠くで揺れていた。

篠笛の音を記憶に残し
河内へと神楽が去る

そして 武生の夏が終わる

ブック カフェ ゴドー店主 栗波和夫